スッタニパータの金言
『ブッダのことば――スッタニパータ』(中村元 訳)より引用させていただきます。
812
たとえば蓮の上の水滴、或いは蓮華の上の水が汚されないように、それと同じく聖者は、見たり学んだり思索したどんなことについても、汚されることがない。
【6、学生ドータカの質問】
1061 ドーカンさんがたずねた、「先生! 私はあなたにおたずねします。このことを私に説いて下さい。偉大な仙人さま。私はあなたのお言葉を頂きたいのです。あなたのお声を聞いて、自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学びましょう。」
1062 師(ブッダ)が答えた、「ドータカよ。では、この世でおいて賢明であり、よく気を付けて、熱心につとめよ。この(私の口)から出る声を聞いて、自己の安らぎを学べ。」
1063 「私は、神々と人間との世界において何ものをも所有せずにふるまうバラモンを見ます。普く見る方よ。私はあなたを礼拝いたします。シャカ族の方よ。私を諸々の疑惑から解き放ちたまえ。」
1064
「ドータカよ。私は世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩を渡るであろう。」
1065 「バラモンさま。慈悲を垂れて、(この世の苦悩から)遠ざかり離れる理法を教えて下さい。私はそれを認識したいのです。私は、虚空のように、乱され濁ることなしに、この世において静まり、依りすがることなく行きましょう。」
1066 師は言われた、
「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知ってよく気を付けて行い、世の中の執著を乗り越えよ。」
1067 「偉大な仙人さま。私はその最上の安らぎを受けて歓喜します。それを知ってよく気を付けて行い、世の中の執著を乗り越えましょう。」
1068 師は答えた、
「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、──それは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執を抱いてはならない」
と。
【5、学生メッタグーの質問】
1049 メッタグーさんがたずねた、
「先生! あなたにおたずねします。このことを私に説いて下さい。あなたはヴェーダの達人、心を修養された方だと私は考えます。世の中にある種々様々な、これらの苦しみは、そもそもどこから現われ出たのですか。」
1050 師(ブッタ)は答えた、
「メッタグーよ。そなたは、私に苦しみの生起するもとを問うた。私は知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執著を縁として生起する。」
1051 実に知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、知ることあり、苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(=執著)をつくってはならない。」
1052 「われらがあなたにおたずねしましたことを、あなたはわれらに説き明かして下さいました。あなたに他のことをおたずねしますが、どうかそれを説いて下さい。どのようにしたならば、諸々の賢者は煩悩の激流、生と老衰、憂いと悲しみとを乗り越えるのでしょうか? 聖者さま。どうかそれを私に説き明かして下さい。あなたはこの法則をあるがままに知っておられるからです。」
1053 師が答えた、
「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼のあたり体得されるこの理法を、私はそなたに解いて明かすであろう。その理法を知って、よく気を付けて行い、世間の執著を乗り越えよ。」
1054 偉大な仙人さま。私はその最上の理法を受けて歓喜します。その理法を知って、よく気を付けて行い、世間の執著を乗り越えるでしょう。」
1055 師が答えた、
「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。
1056 このようにして、よく気をつけ、怠ることなく行う修行者は、わかものとみなして固執したものを捨て、生や老衰や憂いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、苦しみを捨てるであろう。」
826
集会の中で論争に参加した者は、称賛されようと欲して、おずおずしている。そうして敗北してはうちしおれ、(論敵の)あらさがしをしているのに、(他人から)論難されると、怒る。
827
諸々の審判者が彼の所論に対し「汝の議論は敗北した。論破された」というと、論争に敗北した者は嘆き悲しみ、「彼は私を打ち負かした」といっい悲泣する。
35
あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。
(引用終。強調処理は私です)
「ドータカよ。私は世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩を渡るであろう。」
これについて、先日来訪したキリスト信者が興味深いことを言ったのを思い出した。
イエス・キリストは十字架で罪深い人類の身代わりになって死に、人間を禁断の林檎を食べる前のアダムに戻したと。食べるか止めるかを、もう一度選ぶチャンスを与えてくれたと。
おれは言った。
ブッダは確実に解脱に達する唯一の道筋を教えるだけで、この道を行くか止めるかは、各人が決めるのだと。
これは、結果、同じことを示してる。