「我」の奴隷である現代人は今も原始人のまま(2-2)
(2-2)
平均人は、自分の置かれた状況にむやみに適応しようとする。
適応さえうまくいく(=席取りに成功する)と、それで我が事成れりと思いこむ。
つまり自分がない。
レベルの低い、悪い意味で無私なのだ。
健全な自己を持たない者は、
同調圧力にサクっと屈して適応し、
そこから嬉々として応答し続ける。
そんな仕組まれた予定調和の応答は偽物であり、
したがって適応も本物じゃない。。
仏教に、例え話がある。
片目のつぶれたサルばかりの集団に、
1匹だけ両目の開いたサルがいた。
このサルは仲間はずれにされた。
みんなと同じじゃないという理由で。
その同調圧力に耐えきれず、とうとう自分で片目をつぶしてしまった。
と。
自分を偽って集団の色に染まることで、
自分の席を得ようとする空しさ。
しかし、たいていの人間は、
これを決して心ならずでなく、喜んでやってる。
自分が所属すると信じているグループ(会社、国家等)の自由を増大し、既得権益を守ることに奔走する。
自分は構成員として、グループに思考停止で服従する。
この狡猾な処世術を「滅私奉公」などと自讃して、まるで「無我」と関係あるかのように美化するが、実態は肥大化した我欲の「グループぼけ」(澤木興道老師)にすぎない。
その見返りに、グループのもつ自由を席順に応じて分割享受する。さらにもっと多く自由の利得を享受するために、組織内の席取り競争に夢中で狂奔する。バカもカシコもやってる身過ぎ世過ぎだ。
「犬がエサを探すように鼻をクンクン鳴らして幸福を探している。一生幸福にゆきあたらず、結局そこら辺でズボッと棺桶の中に入る」(澤木老師)
貪瞋痴に夢中で、一生妄想しっぱなしでタイムアップする。
ほんとうに必要なものは、個的自由だ。
なぜなら、
人間は必ず誰でも、
死ぬときは
多くの人は、
この一点の理解がない
ために、
ばかげきった一生を終える。
まず自分を持て。
自分を持って状況に応答するべきだ。
人間が生きるとはそういうことなのだから。
健全な我を具足する人間は応答して、
結果として適応することがある。
適応すべきでない状況には、もちろん適応を拒否する。
応答は本物であり、したがって適応も(たとえ不適応に見えても)本物だ。
さて、ここで
を、聞いてください。
おれは、こんな素晴らしい説法、他で一度も耳にしたことないですよ。ホントに素晴らしい。
それでも、時間がない忙しいんだという人は
57:23 ワンパターンの人生で満足ですか?
だけでも是非聞いてみて。
必ず一生の得になりますから。
【ブッダの教え】人間死んだらどうなるか――今を生きるために知っておきたい仏教と輪廻転生の話|スマナサーラ長老の初期仏教月例講演会(説法 日本語字幕付き) - YouTube
解脱とは無我を悟ることであり、悟って初めて完全に自己に執着しなくなる。
するとこれは議論がぐるぐる循環するようだが、この種の根本問題の場合、循環するのはよくある自然なことで、むしろ間違ってない証拠でさえあるとおもう。
人間は、
ひたすら生きんとする盲目の意志によって、
いつまでも死なずに、
元気に生き続けたいと渇望してる。
人間も、他の動物同様、
そのように作られてる
というだけのことだ。
そこに自由はない。
それは自由ではない。
すべての細胞は、
外からの刺激に反射してるだけだ。
どうしてそんなものが自由だろう。
無常で苦で無我だ。
ここのところを
つきつめて理会し
ゲームを明るく生きる。
経典の教え。
過去を追ってはならない未来を待ってはならない、ただ現在の一瞬だけを強く生きねばならない。
のんきに構えてたら、人間はじきに死んでしまう。
実際に今この場で、自分はどうするかだ。
過去を追わず未来を待たずただ現在を強く生きる
=ヴィパッサナーの実践
=八正道
だとおれはおもう。
サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。
ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること。
意識の正体「私」の謎を解く【スマナサーラ長老切り抜き】
0:58
みんな分かってない。この「私」っていうもの はハチャメチャたくさんいるんです……
ハチャメチャたくさんいるのに「私」という一個の塊があると思っているんですね
4:19
現象っていうのは、その対立現象がなければ成り立たないんです……
5:18
……欲という「自分」は単独で行動しません……仏教の答えは 強いバーナーで全ての「自分」を…殺してやることなんです
(ブッダの真理のことば ダンマパダ353中村元訳より引用させていただきます)
われはすべてに打ち勝ち、すべてを知り、あらゆることがらに関して汚されていない。
すべてを捨てて、愛欲は
みずからさとったのであって、誰を[師と]呼ぼうか。
(以上)
釈尊にできたことが、自分にできるか…
釈尊が同じ人間で、かつ釈尊が嘘つきでないなら、答えは当然ノーではない。
実際にやってみてやはりダメだったとなるとしても、可能性はあるだろう。我々には釈尊の強力なサポートがある。
次に、これが最重要ポイントだが、
人間にやるやらないの選択の余地があるか
という問題だ。
おれはまったくないとおもう。
みんなあるに決まってるというが、
それは迷路をさまよう自由
にすぎない。
出口は一つしかないのだ。
(My Favorite Songs)
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